節分とは無病息災を願い春を迎える行事

美龍堂の巴(@biryudou)です。


2月3日は節分。

節分ってただ豆を投げる行事でしょ?お掃除も大変だし・・・と思っていませんか?

今日はそんなちょっと面倒だな、と思ってしまう節分についての話をしていきたいと思います。

陰陽五行と節句

日本では、古くから季節ごとに行う節句や伝統行事というものがあります。

太陽や気候、月の満ち欠けなどを生活に取り入れて身体ともに整えて、日々の暮らしを楽しむ文化があるんですね。
節句や行事などは季節の節目として、食事を用意し、住まいを整え、神様とともに家族でお祝いをします。

江戸の頃、暦に「最も重要な年中行事」として五節句が取り入れられました。

陰陽五行と五節句

仏教や儒教とともに日本に入ってきた陰陽五行。
その思想は行事から体のツボなど様々なところに取り入れられています。

この五節句というのは、陰陽五行と深い関係があるのです。

◆五節句◆

1月7日 人日(七草)
3月3日 上巳(桃の節句)
5月5日 端午(菖蒲の節句)
7月7日 七夕(七夕)
9月9日 重陽(菊の節句)
※1月1日の元旦は別格とされています

見ての通り、すべてゾロ目ですね。しかも全て奇数。

たまたまではなく、あえてこの日を選んで節句行われます。

暦としての重日

月の数と日の数を重ねた日を重日といいますが、この五節句以外にも、暦としての重日があります。

それが、4月の巳の日と10月の亥の日。
巳は暦でいうと4月に当たります。

亥は10月です。

易学の考え方で、乾☰は天(陽の陽)で巳は十二支のうち純の乾。

坤☷は(陰の陰)で亥は純の坤。
4月の巳の日は陽に陽が重なり、10月の亥の日は陰に陰が重なる。

ということで、善悪関わらず重なるといい、特に凶事に用いることを忌み、繰り返すという意味を持つので吉事でも婚姻などは避けられてきました。

節分と陰陽五行との関係

陰陽五行は森羅万象を読み解くための哲学、思想であり、万物は木火土金水で成り立っているという考え方です。

五節句もたまたま5つあるわけではありません。

11月11日が五節句に該当しなかったのは謎ではありますが、二桁だったため外れたという説があります。

節分は節句ではない

このとき混乱しやすいのが、節分は節句ではないということです。

節句というのは先に書いたような五節句などのことを指します。
節分の本来の意味は、季「節」を「分」けること。

つまり、季節の変わり目で立春・立夏・立秋・立冬の前日を指します。
立春というのは二十四節気の一つで、2月4日頃。

ですから、節分はその前日である2月3日になります。

新年は2月4日から、つまり節分が明けてからになるので2月3日は大晦日の意味も持ちます。

節分と豆まき

節分は江戸時代の頃にできたとされています。

鬼は幽霊や疫病など人に害を及ぼすものの総称(邪気)として使われ、属性としては陰陽五行でいう「金」になります。

節分の豆は、基本的には旧年の象徴として穢れや厄災を負って祓い捨てられるものであった。魔除けでの穢れを負った豆であるから、まいた豆から芽が出ることを恐れる伝承は多く、芽が出ないように真っ黒になるまで炒るとか、噛んで苦くなるまで炒るという所もある。

引用元:飯島 吉晴「節分と節供の民俗

大豆も「金」に該当します。
それを「火」で炒ることで金を克する。つまり、魔を滅するで豆が使われた説もあります。

先に上げた民話のように、節分でまいた豆から芽がでると縁起が悪いとかいいますよね。
そのため鬼が来ないように節分の豆撒きでは炒った豆を使いますが、東北では雪に紛れてしまうため、落花生を使うところもあります。

鬼は丑寅の方にすむと言われ、丑(うし)の角と寅のパンツを身につけているのが一般的な姿。
この丑寅は時計でいうと1時と2時を指し、方角でいうと東北です。

鬼門、という言葉を聞いた方が多いのではないでしょうか。

この鬼門は東北、つまり北東に位置します。

節分には、この鬼門から鬼が(災いが)やってくるとされました。
宮中行事として「追儺」というものがありますが、これは平安時代、大晦日に陰陽師たちが弓矢で鬼を追い払っていたことに由来します。

それが江戸時代にはその追い払う行事が豆まきとして庶民に広がっていったのです。

「鬼は外 福は内」の掛け声で勢いよく豆をまくことで、追儺と同様に厄払いができるとされました。そうして、無病息災を願う行事として定着していったのですね。

節分における陰陽五行の要素

なぜ北東から鬼が来るのかというと、中国の思想が元になっています。
古来中国では北東からの異民族による侵略に悩まされており、北東の守りを強固にしていました。

これが元になり、日本で仏教を普及する際に鬼の絵を以来したとき北東が丑と寅にあたることから丑の角と寅の牙を持ちその皮を着るという鬼の絵が広がっていきました。

丑は、子の次ということで物事を興すなどという意味があります。
陰陽五行でいうと土の陰で、寅は木の陽です。

生命力の象徴である寅の性質にちなみ、亡くなった方に猫が乗ると生き返るとか、そんな言い伝えが残る地域もあるそうです。

お財布の新調も寅の日を選びますよね。
一瞬で『千里を行って千里を帰る』という中国のことわざも相まって、でていったお金がすぐ戻ってくると、寅の日が好まれているようです。

節分の食事

節分は「鬼は外、福は内!」と言いながら鬼退治をする豆まきの他に、その年の恵方の方角をむき、太巻きを食べる風習があります。

地域によりそのスタイルや由来はかなり異なるようで、

・福を巻き込むから巻き寿司、縁が切れないように包丁で切らない。
・七福神にあやかり、7種類の具を用意する。
・鬼の金棒に見立て、それを退治する意味もある。
・遊女に太巻きを食べさせ楽しんだことが恵方巻の由来だ。

などなど俗説も飛び交っています。

販売戦略の一つだった?

土用の丑の日がここまで一般的に広まったのは、平賀源内が鰻が売れない夏の時期に「土用丑の日」にからめ販売が始まったからだと言われていますが、節分もそれと似たような話があります。

太巻きも、広がりを見せたのは意外にもごく最近で、平成元年の頃。
2月に販売が落ち込むということで、節分にかけて大手コンビニチェーン店が売り出したことで広がったようです。

今では、「節分といえば豆まきと恵方巻き」という文化が根づいているので、そう考えるとすごいことだなぁと思います。

いわしと柊を飾り魔除けにする

いわしの頭を焼き、柊の小枝に挿して玄関に飾るところもありますね。

風習などでは香りで気の流れを変化させる、整えるということをしますが、節分のいわしがこれに当たります。
そして、柊の尖った枝は鬼の目を挿すとして主に入り口に飾るのです。

柊鰯のその臭いと棘で結界を張るという意味があり、神社のしめ縄のような作用があると考えられます。


節分を持って春分になり、春の土用もあけて季節は春に変わる。

このところ体調を崩していた方も多いですが、今まで身体ともに抱えていた不要なものを全部だしきって、新しい年を迎えましょう。