茨城を守る四匹の狐の兄弟

茨城に密かに伝わる狐の四兄弟の民話があります。

先日、その四兄弟を巡るツアーを企画したのですが好評だったので、その報告も兼ねて1つ記事を書いていこうと思います。

ちなみにそのツアーは水戸経済新聞やヤフーニュースなどにも掲載していただきました。

「稲荷4社を巡る、民話の旅」地域を知るきっかけに

四兄弟と稲荷神社

茨城で有名なお稲荷様といえば、笠間にある笠間稲荷神社。   笠間稲荷

別名胡桃下稲荷ともよばれ、この胡桃下という名前のいわれについてはこんな民話が残されています。  

笠間稲荷神社にまつわる言い伝えをもう一つ。むかし、奥州の棚倉藩主にたいそう鷹狩りの好きな殿様がおり、たくさんの鷹を飼っておりました。ところが、ある日、殿様がかわいがっていた一羽の姿が見えなくなってしまったのです。家来たちが必死でさがしまわりましたが、見つけることができませんでした。そこで、「これは狐の仕業に違いない。明日にも、このあたりの狐を残らず退治してしまおう。」ということになりました。その晩のこと、殿様の夢の中に老人があらわれ、「私は、笠間の紋三郎と申す者である。私に考えがあるので、狐狩りを三日ほど待っていただきたい。」というのです。殿様は老人の願いを聞き入れ、狐狩りを延期することにしました。そして、三日後の朝のこと、さがしていた鷹が玄関先の敷石の上に戻っており、その傍らに一匹の老いた狐が横たわっていたのです。「あの老人が悪さをした狐を捕らえ、鷹を連れ戻してくれたのか・・・・」 たいそう驚いた殿様はさっそく使いを出し、笠間の紋三郎という老人をさがさせました。ところが、紋三郎という人物は実在せず、それは笠間稲荷神社の俗称であるということがわかったのです。殿様は、「誤って罪のない多くの狐の命を奪うところであった。」と神様に感謝し、「大のぼり一対」を笠間稲荷神社に奉納し、後々まで信仰したということです。

引用元:参考図書「笠間の民話」(笠間市生涯学習推進本部) 「笠間市の昔ばなし」(笠間市文化財愛護協会編) 「茨城の伝説」(今瀬文也・武田静澄共著)

実際、笠間稲荷神社には今でも胡桃の木がいくつか生えていて、緑の季節になると丸く可愛らしい姿をみることができます。  

さて、この笠間稲荷神社は狐の四兄弟の一人で、三男であるらしいと密かに伝えられていて、 その話の元となるのがこちらの民話。

むかしむかし、静の森に四匹の兄弟キツネが住んでいました。誰が名前をつけたかはわかりませんが、いつしかキツネの長男を源太郎。次男は甚二郎。三男は紋三郎。四男を四郎介といいました。ある日、兄弟は話し合いをしました。「わたしたちの仲間には、人間や動物たちに悪さをする者がいる。とても残念なことだが、仲間の悪さを完全に止めることは難しい。だから、せめてわたしたちの持っている神通力を人間のために役立てよう。仲間の罪滅ぼしをするんだ。」こうしてキツネたちは人助けを誓います。まず、長男の源太郎が切り出しました。わたしは長男だから、本家のあるこの里を守る。里には大きくて重要な川が2つあるから、里と川の守りは自分に任せてくれ。お前たちは里を離れて開拓地の人間に協力するように」それに甚二郎が応えます。「それでは、わたしは野を守りましょう!」紋三郎も応えます。「それでは、わたしは山を守ります」最後に四郎介が「わたしは一番若くて元気もあるから、海を守ります!」相談を終えると、四匹は一斉に各地に分かれました。四匹が昼夜を問わずに川、野、山、海をかけめぐったお陰で、人々の暮らしは少しずつ良くなっていきました。源太郎のいる川では、魚貝類がたくさん見つかるようになり、人々はいつしかセリの栽培などもできるようになりました。甚二郎のいる野では、いつのまにか田畑の開墾がされていて、稲作が盛んになりました。紋三郎のいる山では、家をたてるために必要な土台石が次々に見つかるようになりました。四郎介のいる海では、大きな魚の居場所がわかったり、塩の作り方をひらめく人々が現れました。兄弟の活躍はそれで終わらず、新しい衣類やお酒の作り方、薬草の発見などにも関わりました。やがて、この地に住む人々は増えて各地に大きな館やお城が建ちました。そして、キツネたちはそれぞれの場所で守り神としてまつられるようになったのです。源太郎は瓜連城。甚二郎は米崎城。紋三郎は笠間城。四郎介は湊城です。

出典元:「四匹の狐の物語」楠見松尾 著「茨城のむかしばなし」より一部引用

笠間は今でも石や陶芸で有名ですが、その発見に力を貸したというのが三男の紋三郎稲荷。

先に紹介した、胡桃下稲荷の語源となった「胡桃を落としていった老人」というのが、この紋三郎稲荷と同一人物であるらしい。

狐は神通力を持っており、夢枕にたったり不思議な力を与えたり人々に知恵を授けたり力を強めていくと上位の階級に成長することができるのだけど、野狐と呼ばれる狐のグループは人に悪さをしたり不幸にしたりする。

その代表がよく民話にもなっている「九尾の狐」なのだけど、それはまた別の記事で。

 

さて、人のために動こう!と善意を持っていた4兄弟は民話などではその両親の記述がなく、4兄弟に善悪を教えた存在が気になるところ。

以前、静神社を紹介したけれどこちらの神社はこの四兄弟が駆け巡っていたという山。

常陸国二宮の静神社

文献によると青山となっているけれど、地図を探し見てもそれらしき表記がなく、地理学的にこのあたりであろうといわれています。

この静神社は住所が「瓜連」になっていて、この「瓜」の漢字にけものへんをつけると狐になる。

次に上げる長男の源太郎稲荷も瓜連にあり、この土地の名前もここが狐の里だったのではないかと言われている所以でもあります。静神社鳥居  

ここで4兄弟は誓いを立て、各地に散り散りに飛び立っていったのだ。  

笠間稲荷神社

住所:〒309-1611 茨城県笠間市笠間1番地

長男の源太郎稲荷

私は山を、と言った長男の源太郎稲荷は、瓜連にある常福寺の外れに存在します。  

 

静神社から車で10分ほどのところにある常福寺は、かつて瓜連城という城がありました。

かつて南北戦争が起こった時、ここは楠正成の一族が居城していたが 対立する佐竹に攻め込まれ、落城した。

その後佐竹氏や水戸家の庇護を受けて現在は関東十八檀林の1つに数えられるほどの浄土宗の名刹となり、その本堂の北側、堀の上にあるのがこの源太郎稲荷です。   源太郎稲荷

のぼりがなければ見逃してしまいそうな林の中にひっそり佇んでいる源太郎稲荷。

雨風を凌ぐため、トタンの囲いの中にお社があり、ここは町をあげて源太郎稲荷を守っていることが伺えますね。

両脇のお狐さまはキリッとした目をしていて、笠間稲荷の鬼門側にあるお狐さまと表情が似ています。

いずれも北側、鬼門近くを見守るためでしょうか。    

源太郎稲荷神社

住所:〒319-2102 茨城県那珂市瓜連1222 常福寺  

米崎の甚二郎稲荷

場所を移して、瓜連から米崎へ。

ここは次男である甚二郎にまつわる神社があります。   甚次郎稲荷  

甚次郎は、「野を守る」と宣言した通り、その神社は田畑を見渡せる小高い坂の上にたっています。

ここには、欲のない甚二郎という民話が残されていて、 神社の脇の張り紙にこの物語が書かれていますが狐に関する文字が見当たりません。

おそらく、紋三郎稲荷同様、人のために尽くしたというその姿がお狐さまの化身であろうという噂を生んだのではないかと推測されるのですがどうでしょうか。

さらに甚二郎に関しては「崎城を守ったとされているが、実際米崎城と呼ばれるものは文献に残っていない」とか、一時三嶋神社に身を寄せていたという話もあり場所やルーツが今ひとつわからず謎の多い狐さまです。

甚次郎稲荷神社

住所:茨城県那珂市本米崎2706  

湊の四郎介稲荷神社

最後に、一番若く「海を守る」と宣言した四郎介が祀られている神社が那珂湊にあります。

港町ならでは、船の守り神として今でも大切にされていて、ここは代々「四郎介」という名前を代々宮司さんが継いでいます。

そのくらい、愛され尊敬されたお稲荷様だったのでしょう。

紋三郎に次いで大きな神社ですね。  四郎介稲荷神社  

四郎介は湊城を守ったと言われていますが、この那珂湊にそういったお城があったという記述はありません。

徳川光圀公の命により1698年に建設された水戸藩別邸、い賓閣がこの稲荷神社の近くにありましたが、どうやらこの別邸のことを地元の住民が「湊城」と呼んでいたらしいという話を耳にしました。

湊町というだけあって、地元の人だけでなく船で行き来する漁師の間でも大切にされていた四郎介稲荷神社。

震災があり船が減り、今は静かになってしまいましたが以前は人混みで歩けないほどの参拝客がいたそうです。

今も昔も変わらず町の人々を見守り続けています。

四郎介稲荷神社

住所:〒311-1229 茨城県ひたちなか市湊中央2丁目2−25  

茨城を守る稲荷神社

今回狐の四兄弟をたどりながら四つの稲荷神社を紹介しましたが、稲荷神社の御祭神はほとんどが宇迦之御魂。

五穀豊穣の神であり、主に稲にまつわる神様です。

これについてはこちらの記事にも書きましたが、稲荷神社ができた経緯などが載っています。

 

また、偶然かホツマツタエにこのような記述がありました。

先程からその一部始終を見ていたアマテル神から、ここで詔のりがありました。
 「カダの神の温情に免じてミツヒコ(三彦)と配下のキツネ共の事、今回は特別に許そう。そのかわりキツネ共に全員ウケノミタマ(宇迦御魂神)を末長く守らせよ。もしも約束をたがえる事あらば、直ちに死刑にせよ。」
 「カダの神!なんじにこの者共を今日より部下としてつけるにより、良き民となすべく指導せよ。」
 カダの神は、アマテル神からキツネ共の恩赦を受けると、その課せられた条件をミツギツネに告げました。
 「兄彦はここ宮中に残って御食(みけ)を守れよ。中彦は山城の花山野に行き、又弟彦は東国のアスカ野に下り、それぞれ三方に分かれて田畑の鳥やねずみを追う仕事をせよ。まめなせ。」

 今回の天照神の詔のりにより、キツネ共はウケノミタマとウケモチと、カダの三神(稲生・稲荷神)の守護役として後世までも付き従い、民の御食をお守りすることとなりました。

出典元:株式会社 日本翻訳センター

衣食住に不自由しないように、生活が豊かになるようにと言う人々の願いとともにあった稲荷神社。

人は誰かに生かされているということを忘れてはいけないですね。