お母さんって、子どもが家の中で見せる表情が多少おかしくても、そういうものだと思って育ててきた自負があると思うんです。
子どもだったらこうあるべきとか、周りの子との比較とか。

自分が持っている価値観や枠との対峙。
私がきついと思っていたのは、自分自身が持って生まれた尺度みたいなものを一生懸命当てはめようとしていたことでした。

茨城県在住ー千鶴の母インタビューー

「下の子だからね」で育てていた

千鶴には姉がいます。
長女は自由人で、その下に生まれた千鶴は何事にもゆっくりな子でした。

赤ちゃんの頃は抱っこを嫌がり、タオルケットなどのタグを触りながら眠るような子でした。
二人目ということもあって、私も子育てに関しては比較的おおらかになっていて「下の子だからね」の言葉で過ごしていたように思います。

幼稚園の時から、千鶴は先生によく怒られていました。
ある時、運動会の練習の日に「行きたくない」と大泣きしたことがあって。
強引に連れて行ってしまったんですが、振り返るとこのくらいから先生と上手く行かないことがあったんですね。

どうも先生に言われたことが分からないらしくて。

先生とのトラブルが続く

小学校に入り、数字を覚えだすと「7」が飛んでしまったりということもありましたが、漢字のテストや宿題のことも先生からの指摘もなく、自分も仕事を始めたので何かあっても「下の子だからね」と毎日の忙しさでかき消されていきました。

それから2年生になって、長女の担任だった先生が担任になりました。
漢字の宿題が上手く行かないということが起こってきて、

「なんて読むの?」「竹だよ」

・・・

「これなんて読むの?」

そんなことが増えました。

5月の連休明けくらいに担任の先生から呼び出されて「どうも授業中ついていけてないみたいです」と言われました。
1年生の時は、娘の席の隣に支援系の子がいて一緒に千鶴も見ていてくれたらしい。ということが分かりました。

教室を抜けてマンツーマンで授業を行ったりする通級というクラスがあるんですが、その案内も2週間くらい前に来ていたんですね。

でも「今の学校はこんなことやってくれるんだなー」としか思ってなくて、後から先生に通級を勧められて「えー!」って驚いた記憶があります(笑

それから、ドリルを練習しても満点取れなかったり、10個書いて〜なんてやっても書けなくて。
同じものを描き続けるよりも、順番変えたり位置を変えたりすると書けるようになってきました。

掛け算も始まったんですがこれも覚えられなくて。

学期のまとめのテストとかはダメで、0からまたやって見直し。を繰り返していました。

K式発達検査を受けて病院に行ったところ、「WISCがないと」と言われました。

新版K式発達検査では、子どもの発達の水準や偏りを「姿勢・運動」(P-M)、「認知・適応」(C-A)、「言語・社会」(L-S)の3領域から評価します。なお、3歳以上では「認知・適応」面、「言語・社会」面に重点を置いています。

引用元:新版K式発達検査とは?検査方法や費用などをご紹介します

その時診断するまでには至らなかったけど「大変になることは目に見えてるかな・・・」と先生に言われました。
改めてスクールカウンセラーにWISCを取ってもらい、検査結果を見ると凸凹してたんですね。

ウェクスラー式知能検査は年齢に応じて種類が異なり、幼児用のWPPSI、児童用のWISC、成人用のWAISの3つが使い分けられています。このうち、今回の記事で紹介するWISCは、5歳0ヶ月~16歳11ヶ月の子どもを対象とした、児童用の知能検査です。WISC-IVは、WISC-IIIを改訂したものであり、その検査内容の一部が引き継がれています。

引用元:WISC-IV知能検査とは?検査の内容について解説します

正直な話、安心しました。
それがあるからこういう状況なんだな、と理解できたし、私も振り返るとそういう子どもだったなと思うところもあったので。

療育に通い始めて救われた

3年生の頃は支援級の先生が通級のクラスを特別に見てくれていたのですが、4年生からそれができない。と言われました。

そんな時ネットサーフィンをしていたら療育先が見つかり、自宅から近いこともあって連絡を取ってみました。
その時で3人待ち、でも運良くすぐにおいでと言われて4年生の始まりくらいから通うことができました。

療育先は月16,000円。
6年生の時に放課後デイができて、4,000円くらいになったんですが負担は大きかったです。

千鶴に合っていたのはブラジル式という覚え方でした。
漢字を1文字ずつ分解して覚えたりというものです。計算のプリントもありました。

1時間半のうち、30分はそういった療育であと1時間は好きなことしていいよ。というセラピータイムでしたね。

療育があったことで、学校からの先生のアタリが強かったりして傷ついた心のケアも重点的にみてくれて救われました。

学校自体は嫌ではなくて、先生の言い方に傷ついていたことが多かったんです。
5年生の時は厳しい先生だったので特に苦労しました。

例えば、彫刻刀を使っていた時に指を切ってしまったことがあって、本人はすごい集中して取り組んでいたのに「ふわふわしてるからね〜」と嫌味を言われたりして、療育に行く車の中で泣いていたこともあったんです。

小学校で少人数のクラスに入っている算数の先生がいるんですが、ある時街でばったり会って「分かってないみたいだからほっといちゃってるのよねぇ」と言われたりして。
「えっ?」てびっくりしたこともありました。

とうとう教育委員会へ

そんな話があって、療育先のセンター長に「教育委員会に行ったほうがいいよ」と言われました。

実際に相談に行って「うちの子がこう言われたんです」と切り出すと「学校の方と話し合ってみてください」なんて言われてしまって。
あ、これは軽く取られたなーと思って、これまでにあった事を全部手紙にして託して渡しました。

「今回だけの話じゃなくて、去年までの話もあるから伝えてるんです!」って。

そしたら担当の人が折り返し電話をかけてきてくれて「学校とこちらからお話しますね」と。

結局、教育委員会は家庭の話を聞けば家庭の味方、先生の話を聞けば先生の味方で何も変わりませんでした。

小学校の方からも「お母さんに謝りたいです」と言われましたがその後の連絡もなく。
卒業式の時、花道を作って見送るんですがその時に生徒と生徒の間から教頭先生が顔を出して「どうもすみませんでした」と口パクで。

そんな終わり方でした。

中学校と高校は自分で選んだ

中学校は分からない勉強はしたくないと、千鶴は自分で支援級を選びました。
5教科は支援級で、ほかは交流級というスタイルでした。

学校も本人の意志を尊重してくれて、小学校よりはいい状態でしたがそれも良し悪しで。
千鶴は大人と普通に会話できてしまうので、先生の愚痴なんかも聞いてきちゃうんですね。
対等に話してくれるけど、馬鹿にするような言い方もされる。

剣道部での先輩や後輩とのトラブルはありましたが、同級生たちとは仲良くやっていたようです。

高校生は、支援級から行ける通信制のところに週5で通ってました。
場所も家から車で30分くらいのところです。

1年目はとまどいがあったものの、張り切っていて、中学から継続して部活は剣道部でした。

高校1年生の時、課題で絵本を描いたんです。

完成間際に「これちょっと見て。女の子の絵がなんかいまいちなんだよねー」なんて言って見せてくれて。
それが、過去の自分の体験を基にしたお話で。
「あぁ、この子はこんな世界を見ていたんだ」って泣いてしまいました。

高校2年生の終わりに、先生と大きなトラブルがありました。

「先生!」と声をかけたときの対応が、厳しかった小学校5年生のときの先生を思い出してしまったみたいで。
先生もイライラしてたのだと思うんですが、口が笑っているのに目が笑っていないとか、そんなところから千鶴が抱える昔の記憶と重なったんですね。

そこから、不登校になりました。

それまで小学校中学校と、教育委員会にまで行ったりして散々千鶴のことを伝え続けていたわけですが、そんな中で不登校という状況になって「もういいよね」って。
これ以上頑張らせる必要はないって思いました。

高校3年生になると週3回、違う校舎の方に行きたいと言って別のキャンパスを移りました。
その頃には美大を受けることを決めていたんですが、他の受験生の作品を見て「私こんなにできない」って落ち込んでしまって。

そんな気持ちのままAO入試を受けて、成績は良かったので合格することができました。

配慮と選択

どよんとしたまま三学期を迎えて、髪の毛を切ったら一気にハイになって。
もう大学も受かっていたので学校に行かなくてもいい時期だったんですが、違う校舎の話をしていたらパニックになって泣き叫んだこともあって。

本人はしれっとした顔で帰ってきたんですが、またそこから学校に行けなくなりました。
聴覚過敏が強くなって、誰も言ってないのに聞こえちゃうとかイヤーマフしていても教室に入れないとか、家では千鶴の姉がそんな姿を見て「いつもの千鶴じゃない」って泣いちゃったりして。

気分の浮き沈みが一番激しかったのはこの頃ですね。

大学は、今までの学生生活の中で一番手厚い場所でした。
パニックもなく、自分で描きたい絵を自由に描いて大学生活を楽しんでいます。

障害手帳を取っていなくても配慮してくれたのですが「きちんとした配慮が欲しいなら手帳を取ったほうがいいよ」と言われて、千鶴も「診断を受けたい」と病院に行きました。

夏頃に診断名がついて、「ASD 軽度の知的障害あり」と。

千鶴も自分でも調べて、子ども向けのシリーズ物を借りてきて「これ私に似てる」とか言っていたので「そうなんだな」と納得できました。
学習面でもついていけてなかった事もあったので、手帳があることで支援が受けやすくはなるのですが「人に言っても逆に困るよね」という感覚らしくて。

診断名が出たことで本人の中でも戸惑いはあるようですが、実際にテストなどで配慮がされてても本人が「ここはいいや」と思えば望まなかったり。
ヘルプマークも自分で取りに行ってつけていますが、これもまたお守りのような感じですね。

長いトンネルの先に

自分が小さい時、父が病気で倒れて母親がピリピリしていて。
三兄弟の末っ子だったのでいつもどこか様子を伺っているような子どもで、なにかする時も基本的に事後報告ですませてきちゃったんですね。

そのクセもあったのかもしれません。

ママ友とも隠すことなく話もしていましたが、割と事後報告に近かったですね。
おじいちゃんおばあちゃんに話しても、と思ってこちらも特にそんな話もせずにいました。

千鶴の父親は、最初の療育の面談に一緒に行った時に「なんか俺、こういうのダメだ」と言ってそれから参加はしませんでしたが、無関心というわけでもなく、私に一任してくれて後方支援でサポートしてくれました。

千鶴は小学校の頃から、学習障害がありそうだなと思うところもあったし、発達障害の診断も「そうだよね」という感じだったので。
療育の行き帰り、こういうことが苦手ということを細分化してよく喋ったりもしていました。

千鶴の姉の時もそうでしたが、子育てって中で自分の中にあった壁が次々ぶち破られていくような感じですね(笑
いい意味で、私の常識を取っ払ってきてくれました。

娘がお母さんになったら「バックアップは任せてね!」って言いたいです。
あなたはあなたの葛藤があると思うけど、思う通りにやってみてね。
見たくないものを見ちゃうと思うけど「分かるよ」って聞くよ。

だから、安心して子育てしてね。